後藤和智事務所OffLine サークルブログ

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【ツイート転載】「劣化言説の時代」から「キャラ化する言論の時代」へ?

『「劣化言説の時代」のメディアと論客』の元になった論文を書いて以降のことだけど、「劣化言説の時代」のあとの言論状況って、言うなれば「キャラ化する言論の時代」なのだと思う。科学的、学術的、客観的な正確性や、社会正義よりも、その論客の「立ち位置」が重視されるという。


それを改めて想起したのは、昨日の本田由紀氏が中川淳一郎氏を批判したこのツイート。

 



中川氏のツイートは私から見ても社会正義にもとる、というか「社会運動」そのものに対する偏見を吐露しているものとしか言えないと思うのだけど、中川氏は『ウェブはバカと暇人のもの』などで、自分の見てきた一般大衆の「現実」を直視せよ、という主張の下、こと社会に対しては劣化言説を展開し、一貫してそういう「キャラ」として発言してきた。

なお昨日のツイートでも紹介したけど、中川氏は昨年紅楼夢のサークルペーパーでテキストマイニングを用いて批判しているから読まれたい。

ch.nicovideo.jp



閑話休題、今の「論壇」の世界は科学や社会正義ではなく「キャラ」の論理で動いているものだと言っていい。「論壇」の中でひとたび「キャラ」を獲得してしまえば、メディアはその「キャラ」に沿った発言を要求するようになる。しかも著者のほうまで、メディアのその要請に迎合するようになる。さらに言うと読者のほうも著者を論理ではなく「キャラ」で認識するようになるから、それに対する反応は学術的な賛同・検証・批判よりも共感、そして「いじり」に近い物になる。今の「論壇」というのは、限りなく「ネタ」化されたコミュニケーションの場であると言うことができるはずだ。

この点を踏まえれば、左右両派で言説が暴走する様を的確に捉えることができると思う。右派の場合はもちろんヘイトスピーチ。右派系メディアにとってヘイトスピーチは「論壇」を成り立たせるコミュニケーションでしかないのだが、そのコミュニケーションを強化するために、在日外国人とか生活保護受給者に対する歪んだイメージを強化し続ける。左派の場合は、具体的な名前を挙げると、内田樹金子勝山口二郎などといった論客の発言が過激化している現象が挙げられるだろう。彼らは自らの「キャラ」を純化させ、その純化した発言を楽しむ人たち以外には届かない言説を発するようになる。

またさらに言うと、「論壇」が「キャラ」を媒介したコミュニケーションの場になると、様々な「キャラ」を使い分け、その発言の間に齟齬が生じても平気の平左、という「多元的論客」まで現れる。典型例は香山リカだろう。あう人格で若い世代をバッシングし、別人格で若い世代のお悩み相談に乗る、一貫性のない行動まで平然と現れるようになる。

2000年代、若い世代のコミュニケーションをめぐって、「タコツボ化」「島宇宙化」「動物化」「キャラ化」などといった議論が交わされてきたけど、これらの議論は今の「論壇」にこそ適応されるべきだ。

またマーケティング言説の伸張も、言論・論客の「キャラ」化に拍車をかけていると思う。マーケティングの基本は「こうすれば売れる」ということを示すことで、「売れる」言説を示してみせるために「キャラ」化してみせる、というあり方は、2000年代半ば頃から見られている。具体的に言うと三浦展で、彼は従来の若者研究のように若い世代に対する価値判断を留保するのではなく、それを悪と断定することで売れると判断し、バッシング的に書いていると複数のメディアやインタビューで述べている。そして三浦は数年間、若い世代をバッシングする「キャラ」で売り続けた。

「キャラ」に頼った言論のあり方は、長期的には不毛な世代論などをはじめとする対立しか生み出さないだろう。

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行きにやったツイートの続きだけど、社会的公正や科学的な正当性よりも「キャラ」を重視する傾向って、近年広告代理店系の論客が伸張していることと無関係ではないと思う。社会的な言説が「売れる」ことを意識してしまうと、結果として大衆の耳目を集められるような扇動系の言説や、「新しさ」を僭称しながら結局は流行りの言説ないし社会的な偏見の再生産でしかないものしか生み出し得なくなる。少なくともそういった言説には、社会の問題をあぶり出して、解決に導くようなものは出ないのではないか。