後藤和智事務所OffLine サークルブログ

同人サークル「後藤和智事務所OffLine」のサークル情報に関するブログです。旧ブログはこちら。> http://ameblo.jp/kazutomogoto/

【ツイート転載】「評論」に依存し責任を回避する者へ(H28.4.18)

高史明氏のこのツイート https://twitter.com/Fumiaki_Taka/status/721320132832677888 に対して、「アニメアイコン」という言葉を使っていることから、内容をよく精査せずオタクバッシングだと脊髄反射してしまう反応についてはまだまだ予測の範囲内だけど(それでも十分問題ではあるが)これは最早予測の範囲を大きく超えている。 https://twitter.com/kanenooto7248/status/721664014485364740

 

 

なんでまったく関係のない「左派運動アカウントと震災後デマの関係」が持ち出されるのか、全くもって理解できない。左翼運動系のアカウントがデマを流し続けていたのは事実ではあるが。恐らくこの人は、「左翼運動界隈の酷さ」を持ち出せば、左翼っぽいものにはなんでも批判できる、と考えているのだろう。

私も一時期この人をフォローしていた頃があって、確かにその時は東日本大震災絡みのデマとかレイシズムとかも批判していたのだが、あるときから左翼嘲笑系の発言ばかりになってフォローを切った(私は「ヲチ目的」のフォローはしない主義だ)。今にして思えば、彼の評論系の言説は全て「アンチのアンチ」に過ぎなかったのだろう。

恐らく彼は「批判する側は自らを律すべき」という道徳を信奉しているのだろうが、それは自戒のためのものであって、他人の言論を封殺するものではないはずだ。彼に限らず、私の読者の少なくない部分に、科学的な知識を持っていること、論理的な思考ができることをマウンティングのための道具にしか考えていない人がいるのは残念なことだ。

そのため断言するが、彼のような「知的クリーチャー」(古谷経衡)を作り上げた責任の一端は間違いなく私にある。一部の反オタクバッシング系、ロスジェネ系の論客は、「左翼やフェミニズムオタクバッシングの酷さ」を笠に着て自らの言説の落ち度や暴力性を指摘されることを回避してきた。彼のような「論客」が批判されているのは、決して「オタク」だからでも「若者」だからでもない。責任をとるつもりがないという態度が批判されているからだ、ということは周知しておきたい。これが評論という言説の依存性である。

私は若者論への批判はまだまだ足りないと思っているし、今後も手厳しく批判していくつもりではあるが、他方でああいった「依存症」の人を生み出してきたということについても考えなければならないと思っている。

―――――
彼が左翼やフェミニズムばかり叩いているのは、ネット上で左翼や女性が「ネタ」としてマウンティングできる存在になっているからだろう。同様にCRAC界隈も「オタク」にマウンティングしたいという欲望がありありと現れている。結局は映し鏡でしかない。