後藤和智事務所OffLine サークルブログ

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【ツイート転載】若者への差別を支えてきた「若者文化論」(2017.06.25)

kazugoto.hatenablog.com

の続き。

 

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 なぜ一部のポピュラー社会学の支持者がいとも簡単に若者を差別するのかというと、若者論の世界にはいつ頃からか「通常の若者論は上澄みのエリートしか見ていない」という思い込みがあったというのが大きい。それに90年代以降の評論の「いかに本質を語っているか」ゲームの風潮が相俟って、一部の若者論の世界では〈莫迦な若者〉をポピュラー社会学の文脈で語れる人間が「知の最先端」としてもてはやされる風潮ができてしまった。その言説がいかに差別的なものであっても、ポピュラー社会学の消費者にとってはそのような知的優越感を満たしてくれることの方が重要だから、そういう言説が「批評」の世界でもてはやされる。

 2000年代終わり~現在の「ヤンキー」論はそういった差別構造に支えられている。そのあたりの反省がポピュラー社会学の消費者の間でなされないまま、現在に至っているため、ああいった言説が今でもまかり通る。

ポピュラー社会学の消費者にとっては、「自分は世の中の本質が見えている」ことだけが重要であり、その背景に潜む差別意識を批判されると「せっかく誰々が考える機会を与えてくれたのに邪魔するな」ということになる。「世の中を考えている自分」がかわいいだけの人間が世の中を語らないで欲しい。

 

 「評論の読者」がほめそやす「多様性」というのは、自分が着飾ることができる言説・思想がたくさんあるということであって、彼らが一番恐れているのは「王様は裸だ」という指摘。というか「評論の読者」ってこの10年でまったく変わっていない。以前『おまえが若者を語るな!』を出したときも「お前の若者論を語れ」と言われたものだ。若者論の非科学性を批判する言説への対応ではないだろう。

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若者の階層化をめぐる一部左派の言説について。

 若い世代の「格差」「階層化」は、比較的早く左派に認知されていました。1990年代終わり~2000年代初めにかけてそれらを扱った新書などがブームになっていたのですが、一部左派はこれをどのように捉えたか。

 香山リカの『ぷちナショナリズム症候群』や荷宮和子の『声に出して読めないネット掲示板』のように、それは「階層化によって自分たちとは違う考え方や心性を持った若者が戦後社会を破壊する」というユースフォビアの言説で用いられたのです。このような「若者文化論」が、一部左派の劣化言説を支えてきました。さらに、玄田有史らの『ニート』のように、若者論においては労働経済的な視点よりも若者の心性やそれを生み出した消費社会、情報化社会を指摘する言説の方が受けがよかった。宮本みち子氏などの言説がそれほど広まらなかった背景には、このような「若者文化論」がある。若い世代をめぐる問題を語る言説は、このような「若者文化論」に長い間引っ張られてきたわけです。

 左派(そして一部の若手右派も)の若者叩きを支えてきたのがこの「若者文化論」です。いま求められているのは、若者に対する差別の一部を支えてきた「若者文化論」の相対化なのです。