後藤和智事務所OffLine サークルブログ

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【ツイート転載】反左派言説、及び「オタク」とPolitical Correctnessについて(2017.08.23/一部修正あり)

 

こちらの発言について補足をしたいと思います。まず「リベラルの人はオタク叩きしかしてこなかった」という記述ですが、元となった書き込みを見ると「リベラル」ではなく「ポ○○レ」になっていました。これに関しては完全に私の早とちりです。

ただ事実として、定期的に「左派・リベラル派こそが表現規制に積極的だ」「民主党民進党)・共産党こそ表現規制政党」と訴える人は出てきており、その中には同人誌即売会に出展していたりプロの漫画家だったりする人もいます。例えば董卓氏の初発言がまとめられているこちらの記事 https://togetter.com/li/945221 に見られるとおり、「表現規制反対」を訴えて昨年の参院選に出馬した山田太郎氏の支持者の一部には「民主党共産党表現規制政党」と言った人がいました。また山田氏自身もそのような類の書き込みを積極的にリツイートしていた記憶があります(そのため私は選挙期間が終わったら直ちに山田氏のフォローを外しました)。

 

で、(ネット用語の「ポ○○レ」ではない)Political Correctnessがオタクを守ってこなかったかというと、それはちょっと違うかなと思います。「実例を出せ」と言われたら、それこそ表現規制反対運動がそれにあたるのではないかと思います。表現規制反対運動は、漫画家や漫画の愛好者というだけで権力から不当な扱いを受けたり、もしくはマスコミから不当なバッシングを受け手はいけないという点から考えれば、Political Correctness的なものと言うことができるかと思います。

またマスコミにおけるオタクバッシング的なものが減ったことについて、「Political Correctnessではなくオタク文化が経済的に認められるようになったからだ」という反論も見られましたが、漫画・アニメ愛好者というだけで不当な扱いを受けてはいけないという考え方が経済的論理だけで広まったとはちょっと考えづらいかなと。「Political Correctnessか経済的な勝利か」ではなく、結局「両方」という常識的な結論に落ち着かざるを得ないかなと。そういう「どちらか」を設定すること自体が不毛だと思います。

私の誤読から始まった、表現規制反対運動における左派の貢献については元の発言者にも届いたようです。しかしそれに対する反応を見て私は失望しました。いわく《「オタクが被ってきた差別や偏見」という面では明確な活動はしてない》《今回の争点は「オタクの人権を守ろうとしていたか」》権力から不当な抑圧を受けるべきではないとするならば、表現規制反対運動は立派な「オタクの人権を守る運動」に他なりません。

また《ポ○○レを掲げる人たちがやらかした幾多のオタクに対する案件って、表現規制に関することばっかじゃね?》(訳あって一部伏せ字)とも言っていますがそれは権力によって不当な抑圧を受けることについてはPolitical Correctnessの観点から擁護されることはあるかもしれないけど、差別的なメッセージを含むとすれば同視点から批判されることもあるということに過ぎないかと思います。

それに、いまの(まあ前からですけど)ネット上で広がっている表現には、女性や性的マイノリティを見下したりするものも少なくありません。ここ最近だけでも「野○○輩」(8月10日)や「変態○○方」(8月16日)のような明らかなホモフォビアに基づいた消費をされているものや次のような「風刺漫画」が流行ったことも事実でしょう。これはほんの一部。

・若い母親に対して赤子に「子供は贅沢品(だから自己責任だ)」と言わせる
・女性には「賞味期限」があり、国によって管理されているという内容の「創作」(でもその中に容姿のよくない女性を「視覚暴力」と書いている)

それにこの1年だけでも、女性の性被害の訴えに対して被害者を茶化したりバッシングしたりする動きも何回かありました。特に痴漢冤罪絡みは女性全体を敵視する言説も少なくなかった。それどころか最近は夏の体臭に気をつけるべきだという指摘すら「オタク差別」とする言説まで出てきた。

 

これらはPolitical Correctnessの観点からすれば「そら批判されるわな」としか言い様がないものです。これらはエログロナンセンスとは全く別の次元で批判されるべきものです。そういう指摘を拒否してまで守られるべき「オタクの人権」とは何か。

もうここまで来ると「心置きなく差別的言説を展開することができ、それをとがめられたら「オタク差別」と相手に責任を押しつけることができる権利」になってしまう。そんなものは権利などではなく特権にほかならない。

そしてこれは重要なことですが、このような「反ポ○○レ」を訴えるアニメ・ゲーム愛好者は決してその愛好者の多数派ではない。ただそういう差別的な傾向を持っている人が、ネット上では表現規制反対言説に強い影響を持っているということは直視した方がいいかなと。これは東日本大震災の被災地を「応援」する人の中に、左派をバッシングする目的で被災地を利用している人が少なからず含まれていたことにも関連すると思います(「福島ファン」を名乗っている人が、東北の人を怒らせた復興相の発言を擁護したり、障碍者を叩いていたりとか)。

それにしても、今回改めて「ポ○○レ」という言葉は決して使うべきではないということが分かりましたね。「反ポ○○レ」系の人は、自分にとって都合の悪いことはすべて「ポ○○レ」のせいになる。かつてはこの役割は「リベラル」という言葉が担っていて、用語だけが変わっただけの話。

(それにしても、ドナルド・トランプ氏が大統領選に当選した直後に吹き荒れた「ポ○○レ疲れ」系の言説のなかで、京都市交通局の「地下鉄に乗るっ」に男性キャラが登場したことすら「ポ○○レ」のせいにするようなものが流れてきたときにはさすがに開いた口がふさがらなかった)

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【追伸】「ポ○○レ」と並んで都合良く使われている言葉に「ま○○○村」という言葉がありますが、このタグと並んでよく使われている言葉に「BL無罪」という言葉がありました(元々は男性向けアダルトを糾弾しているフェミニストが使い出した言葉のようですが、この言葉も女性差別的な「ま○○○村」嘲笑クラスタに使われるようになったようです)。曰く、男性向けエロは規制されるのに、女性向けエロは野放しだという。実際にはBL(ボーイズラブ)はむしろ権力による表現規制の最前線でした。

2008年において堺市では一部市民から図書館がBL本を貸し出すというのは何事かという声が相次ぎ市も閲覧制限をかけたことが問題にされました。また東京都による不健全図書指定にはかねてからBLが多く指定されていました。(こちらは2010年の記事)このような歴史すら最近の一部の「表現規制反対」界隈では踏まえられていないというのは、左派バッシングと並んで問題です。

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togetter.com

それに一部のまとめサイトは、腐女子が「自重ルール」に縛られずに自由に作品を発表していこうという呼びかけに対して「腐女子テロ」などと言い立てて騒ぎ立てたという経緯があります。その「自重ルール」を強いているのは誰なのかということも考えずにそんなことを言ってしまうなど完全に後ろ弾でしかありません。

(それにしても、こんなにも差別やハラスメントの実例が報告されているにも関わらず未だに「オタク差別」を言い立てて自分の差別意識を正当化する人が多いのはかなり問題かな…)