後藤和智事務所OffLine サークルブログ

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【名華祭11サークルペーパー】『宮台真司interviews』分析【テキストマイニング】

名華祭は3回目の出展となります、後藤和智です。そして「幻想郷フォーラム」第4回開催おめでとうございます。私は第2回(2015年)を除いて毎回出展していますが、2014年の初開催時は、出展申し込みをしつつも東方の「情報・評論」オンリーなんて誰が来るのかと正直思っていましたが、蓋を開けてみれば大盛況という。そして2015年には残念ながら出展できませんましたが、2016年に出展したときには口頭発表部門も追加されて、盛り上がりも増しているという……。まだまだ東方の同人には可能性があると感じました。
さて今回のサークルペーパーは、東方とは関係ないのですが、宮台真司に1994年~2004年に行われたインタビューをまとめた本『宮台真司interviews』の分析を行いたいと思います。私は(それこそ今回の新刊がそうであるように)テキストマイニングにはまっているのですが、テキストマイニングを用いて現代の言論、評論のあり方を明らかにすることを続けていこうと思っているので、今後とも末永いお付き合いをよろしくお願いいたします――というのはさておき、早速分析に入っていきたいと思います(解析に使ったのはカスタマイズしていないMeCabに、「酒鬼薔薇聖斗」「酒鬼薔薇」を強制抽出単語としてKH Coder側で登録)。
宮台真司interviews』には合計64本のインタビューや、他のライターによる聞き書きが収録されていますが(表1)、特に多いのは1998年のものです。1998年というのは、宮台が「脱社会的存在」という概念を言い出す頃のものであり、相次いで報道されていた「理解できない」少年犯罪(実際には統計上では少年による凶悪犯罪は減少傾向にあるか、または増加していても検挙方針の転換で増加しているように見えているだけ)に対する対応・解説に追われていたということが考えられます。もう一つは、宮台自身が主張する転向です。詳しくは宮台の『この世からきれいに消えたい。』(藤井誠二との共著、朝日文庫)を読んで欲しいのですが、1999年か2000年に、宮台の熱心な読者が宮台の言説を真に受けて自殺して、それを契機に宮台が「世直しモード」から「サブカルチャーモード」に言説を転換させたと言われております(というか、宮台が言っています)。

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そのような変化は見られるのでしょうか。ここではクラスター分析と対応分析を用いて見ていきます。クラスター分析を用いて5つのクラスターに分けたところ、1998年まではクラスター1の文章が見られますが、1999年以降はクラスター1がなく、代わりにクラスター4の文章が見られるようになりました。それではそれらのクラスターの中身はなんなのかというと、クラスター1は対応分析で第1,3主成分が負で、第2主成分が正に振れていました。他方、クラスター4は、第2,3主成分が負に振れています。単語の得点を見ると、特に違いが見られた第2主成分においては、正の方向は子育てや酒鬼薔薇聖斗事件、正の方向には政治や運動と名付けることができそうです。

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さらに年カテゴリごとの変化を見ると、1990年代と2000年代で大きく異なっているのは第1主成分で、1990年代は負だったのが2000年代には正になっています。こちらの第1主成分は、メディア規制関係のほか、子育てに関するものが多いですが、正の方向には、「天皇」「大衆」「匂い」などといった宮台社会学で頻繁に使われる単語が多く見られます。

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こう見ると、宮台の言う「世直しモードからサブカルチャーモードへ」という変化とは真逆のものが見えます。実際の宮台の言説は、少なくとも『宮台真司interviews』に収録されているインタビューや聞き書きを分析する限りにおいては、当初は少年犯罪などに対する具体的なものだったのが、「原天皇制」や社会のあり方といった、むしろ抽象的なものに向かっていくという様が見られます。これは私が『間違いだらけの論客選び』という同人誌で指摘した、セラピー的な言説の傾向を、切り離すと言うよりはむしろ獲得していったということです。
また、頻出する単語上位122個(出現数77以上)を多次元尺度構成法によって6つのカテゴリーに分類し、それぞれの単語が使われている文の割合を集計したのが表7,8になります。集計からわかるのは、1990代はカテゴリー2,4の単語が多く、2000年代はカテゴリー3の単語が多いということです。教育やジェンダーに関する基本的な単語が並ぶカテゴリー2,4に対して、カテゴリー3は宮台的な「社会システム理論」において使われる単語になっています。

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このことから、宮台の言う1990年代から2000年代における言説の転換は事実ですが、それは「世直しからサブカルチャーへ」というよりは、より抽象的な、そしてより一般の社会科学からはかけ離れた方向への変化と言うことができるかと思います。まあそういう社会学こそがサブカルチャーであると言い切ってしまえばそれまでなのですが、これは自分の言説が理解できる層へのアプローチの変化であり、要するに自閉であり、そしてセラピー的側面の獲得でしかないわけで、社会「科学」とは真逆の方向に向かっており、これは非常の危うい変化であると言えます。
宮台は2014年の都知事選のときに過激な物言いで反原発左翼の支持を取り付けようとして失敗し、最近はネット上の反フェミニズム言説に過激な物言いで支持を取り付けようとしているように見えますが、いずれにせよ2005年の段階で既に自閉し、セラピー的になってしまった宮台に期待するのは危険です。幸い、社会学の方面では宮台社会学に対する見直しが進んでいるようですが、「批評」方面ではまだその影響力が衰えたとは言えない状況です。「批評」の側が早く宮台的なものから脱却しないと、「批評」が科学を志向することは不可能ではないかと思います。

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