後藤和智事務所OffLine サークルブログ

同人サークル「後藤和智事務所OffLine」のサークル情報に関するブログです。旧ブログはこちら。> http://ameblo.jp/kazutomogoto/

【ツイート転載】ある社会学者と、若者論の社会学についての覚書(H27.12.27)

そもそも疑問なのは、若者論批判に対しては「若者論批判は若者の問題点を覆い隠す」という反批判がなぜか見られるということである。例えば女性、在日外国 人、生活保護受給者に対するバッシングは数多くあるが、それに対する批判も多い。私はそのような批判の多くを支持している。それに対して、私はそれらの批判が在日外国人や生活保護受給者の問題点を覆い隠している、という反批判は寡聞にして聞かない。当たり前だ。

だからこそ私が 甲山某に一番はじめに問うたのは「その私への誹謗の「若者」を「女性」「在日外国人」「生活保護受給者」に置き換えてみろ」だった。

これに対して、甲山は自らの〈実務家〉性を笠に着て、自らの差別的な視線からひたすら逃げ続けた。ここに見られるのは、若い世代における「格差」の存在(広がり、ではない)についてその被害を受けているのは自分だという立場だ。

togetter.com

階層化している、ないし階層化した若者たちは加害者であって、自らは被害者だ、という言説は、香山リカ『ぷちナショナリズム症候群』(最近ちくま新書から再版された)や荷宮和子『若者はなぜ怒らなくなったのか』などに見られる認識である。甲山の認識は、そのような認識を未だに引きずっているということである(他にこのような認識を持っている人として、かつての三浦展内田樹などが挙げられる)。

これは右派が1990年代から行っている若い世代に対するスティグマ化とはまた違った形で若い世代にスティグマを付与してきた。そのような、主に左派によるスティグマ化を支持する人たちは、それを批判する側もまた加害者であるという批判を行ってきた。2013年の段階ですら、このようなエントリーが書かれている。

brighthelmer.hatenablog.com

これは、2000年代における若い世代を研究する社会学の少なくない部分が、現代の若い世代が今までの世代とは「違う」ことを所与の問題として、公共政策的な視点ではなく、社会防衛的な視点から、そのような若い世代の「変化」に対して社会はいかに向き合うかという視点で行われている。これは、宮台真司香山リカなどといった若者バッシングに親和的な言説はもとより、浅野智彦氏や中西新太郎氏などといった学術的な研 究者においても無視できないレベルで見られるものである。

それに対して若者論批判は、若い世代の「変化」はとりあえず措いて、通俗的な青少年言説がどのように間違っているのか、それが政策にどのような悪影響を及ぼしているのかを批判してきた。若い世代の「変化」を至上命題とする 若者論に慣れ親しんできた論者にとっては、若い世代の「変化」をとりあえず措いておく若者論批判に違和感を覚えるのだろう。

甲山某に戻ると、彼は明らかに、1990年代より行われてきた若者の「変化」、そして「劣化」言説を自らの拠り所にして、ヒロイズムに浸っている論客と言うことができる。彼にとっては、劣化言説の時代に主に左派によって行われてきた、階層化している若い世代を社会に対する「加害者」と捉え、自らの教えている学生はその表出ないし尖兵であり、それをケアすることによって社会を改善することができる、と考えているのだろう。そして若い世代、特に甲山某が「下」の階層と見なしている若い世代を擁護している(と勝手に認識している)、後藤和智(を代表とする劣化言説批判者)もまた社会に対する「加害者」である、というロジックと考えられる。

このような甲山某の認識は、ひとり甲山の個人 的資質に帰するべきものではなく(まあ個人的資質もものすごく大きいとは思うけど)、我が国の2000年代以降の一部の社会学が抱えてきた宿痾であるとも考えた方がいいだろう。

ちなみに私が過去に甲山某に言及してきたのは以下の通り。

ameblo.jp

ameblo.jp

ameblo.jp

ameblo.jp

また甲山某がいかに不誠実な論客であるかについてはこちらも参照されたい。

togetter.com

togetter.com

逆襲のしんかいちゃん: 甲虫先生との論争について (山川賢一氏)

【リリース】後藤和智事務所OffLine コミックマーケット89参加情報

コミックマーケット89

東京ビッグサイト

2日目(12/30)

西2ホール「け」ブロック08a

後藤和智事務所OffLine

Webカタログ:https://webcatalog.circle.ms/Circle/12300205

f:id:kgotolibrary:20151222170042j:plain

f:id:kgotolibrary:20151222170057j:plain

・新刊

コミックマーケット89新刊

古明地こいしと不思議な数字の世界――市民のための数理モデリングの基礎

表紙:杏飴(こいんとす/2日目西「ね」13b)

こいしとこころに共通の話題を持たせるために、魔理沙が持ってきた魔道書から飛び出してくる講師が数理モデリングの様々なトピックを解説します。時系列解析(アリス、パチュリー)、最適化(幽々子)、確率モデル(ヘカーティア)を解説。R言語を使いながら進行する、世界を記述する数学を学ぶ〈講座系二次創作〉。

 

第21回文学フリマ東京新刊

世代論メディアを解体する:計量テキスト分析による『AERA』世代論記事の解体――平成日本若者論史13

世代論をひとつのコンテンツとするメディアは、それぞれの世代をどのように扱っているのか。『AERA』を1つのケースとし、2001~2014年の世代論系の記事108本をKH Coderを使って分析します。

 

第2回博麗神社秋季例大祭新刊

八雲紫の社会構築主義幻想――市民のための社会構築主義理論の基礎

表紙:donjuan(シャレコーベ草原)

紫の霊夢に対する不思議な問いかけから始まる、「社会問題の社会学」の講座。基本書である『社会問題の構築』の解説から青少年問題への適用にまで、社会学は社会問題にいかにして向き合うかを解説する、「社会問題の社会学」の解説書。社会構築主義のリアリティを呼び起こす東方の〈講座系二次創作〉です。

 

・既刊

天龍の空間統計学攻略作戦――市民のための空間統計学の基礎

表紙:悠飛あるふぁ(Lucky Chance!/3日目「テ」ブロック41a)

この頃活躍できていないことを嘆く天龍は、夕張の提案で空間をデータで捉える技術、空間統計学を学ぶ。空間統計学の基礎からクリギング、そしてR言語を解説する、艦これの〈講座系二次創作〉です。

 

検証・格差論:2000年代の若年労働・経済言説を読み解く――平成日本若者論史Special2

2000年代、「格差」を語った多くの言説が流れていった。それらの言説はどのような位相を持ち、どのような問題点があったのか。2009~2013年に『POSSE』誌にて連載されていた記事を中心に、電子書籍やサークルペーパーなどを収録した「格差」論の記録です。

【C89新刊】古明地こいしと不思議な数字の世界――市民のための数理モデリングの基礎

【書誌データ】
 書名:古明地こいしと不思議な数字の世界――市民のための数理モデリングの基礎
 発行日:2015(平成27)年12月30日(コミックマーケット89)
 著者:後藤和智後藤和智事務所OffLine http://www45.atwiki.jp/kazugoto/
 表紙:杏飴(こいんとす http://coinstoss.blog.fc2.com/

 サイズ:A5
 ページ数:72ページ
 価格:即売会…800円、書店…1,000円(税抜)
 通販取扱:メロンブックス https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=146208

  とらのあな http://www.toranoana.jp/mailorder/article/04/0030/36/88/040030368839.html

  COMIC ZIN 委託予定

 国立国会図書館登録情報:納本予定
 電子書籍メロンブックスDL(予定)
 サンプル:

www.pixiv.net

 備考:本書は同人サークル「上海アリス幻樂団」の作品「東方Project」シリーズの二次創作作品となります。そのためコミティアなどの二次創作作品の頒布が禁止されている即売会では頒布いたしません。
 登場人物:古明地こいし、秦こころ、霧雨魔理沙アリス・マーガトロイドパチュリー・ノーレッジ西行寺幽々子、ヘカーティア・ラピスラズリ古明地さとり

 【目次】

まえがき

第1章 時系列解析
 1.1 はじめに――時系列データとは
 1.2 時系列データの解析の基礎
 1.3 時系列モデルの考え方
 1.4 ARモデルとMAモデル
  1.4.1 ARモデル
  1.4.2 MAモデル、ARMAモデル
  1.4.3 ARCHモデル、GARCHモデル
 1.5 実際の時系列解析

第2章 最適化
 2.1 はじめに――最適化とはなにか
 2.2 ファイブ・ステップ法
 2.3 感度分析
 2.4 多変量の最適化とラグランジュ乗数
 2.5 遺伝的アルゴリズム
  2.5.1 遺伝的アルゴリズムの基礎
  2.5.2 遺伝子によるデータの記述と第1世代の生成
  2.5.3 適者生存
  2.5.4 交配
  2.5.5 突然変異
 2.6 遺伝的アルゴリズムの利点と問題点
 2.7 遺伝的アルゴリズムのRでのプログラミング

第3章 確率モデル
 3.1 確率モデルのために――行列の入門
 3.2 遷移確率行列
 3.3 行列の対角化と収束

第4章 付録

エピローグ/あとがき
 エピローグ
 参考文献
 あとがき

【ツイート転載】〈若者〉を再定義しよう(H27.12.1)

某御用若者氏が本当の御用になるのを見るにつけ、いい加減〈若者〉の定義をある程度違った形で定義した方がいいんじゃないかなぁ…って気になる。「若者代表」の胡散臭さは、特に左派を中心に多くの人が感づいているところではあると思うけど、それを理論化する必要がある。

ちなみに新たに提案したい〈若者〉の定義とは、

1. それまでの社会のマジョリティ層が持っている(た)ものとは違う考え方や行動様式を持っているとされている社会集団。

2. その「違い」を説明する最大の要素が年代・世代だと思われていること。

そして、それが特定の人や集団、メディアの目的に沿って消費される〈若者〉が、その人、集団、メディアにとっての〈御用若者〉ということになる。もちろん一番問題のある〈御用若者〉の使い手は政府だけど、〈御用若者〉を生み出すのは政府には限らない。

このような〈御用若者〉のあり方は、メディアにとってアイデンティティが消費財になっているという状況と密接に繋がっている。今の若者論、世代論は自分と は違う〈他者〉のアイデンティティを消費することによって成立しているのだが、一部のメディアにおいてはそこで提示された世代の「違い」が社会を読み解くキーとして認識されている。ただこのような世代のあり方は、むしろ若者論者が勝手に作っている可能性のほうが高いのではないか。

劣化言説の時代以降、若い世代がいかに既存の社会を構成している世代とは「違っている」かという言説が生み出され、そして若い世代の論客もまたそれに呼応する形で「自分たちの世代はこんなに特殊な考え方を持っており、特殊な生き方を志向している」と主張してきた。そういう世代論ばかりが受けてしまう状況というのは、やはり考え直す必要があるのではないかと思う。

ついでに言うと、今、原田曜平をはじめとするマーケッターの世代論が受けているのは、若い世代を「自分たちとは違う」世代として切り離し、安全圏から消費 したいという社会の欲望からではないかと思う。彼や少し前の三浦展などのように、今の若い世代が「こんなにも自分たちと違う」ということを商品として売り出してきた論客の言説は、ヘイトスピーチやバッシングの原動力になる可能性が大きい。疑問に思う向きは、そもそもある種の俗流若者擁護論として生み出された「草食系男子」論(by 深澤真紀)が見事に若者叩きの言葉となったことを思い出してみよ。

www.melonbooks.com

www.melonbooks.com

【文学フリマ東京21新刊】世代論メディアを解体する――平成日本若者論史13

 【書誌データ】
 書名:世代論メディアを解体する:計量テキスト分析による『AERA』世代論記事の解体――平成日本若者論史13
 発行日:2015(平成27)年11月23日(第21回文学フリマ東京)
 著者:後藤和智後藤和智事務所OffLine http://www45.atwiki.jp/kazugoto/
 サイズ:A5
 ページ数:36ページ
 価格:即売会…400円 委託…500円

 通販取扱:COMIC ZIN(予定)

 国立国会図書館登録情報:納本予定
 電子書籍Kindle(予定)

 サンプル:pixiv

www.pixiv.net



【目次】
はじめに

第1章 横断的な分析
 1.1 はじめに
 1.2 分析と手法
 1.3 分析対象とする指標とその分析結果
  1.3.1 年・時期区分
  1.3.2 世代区分
  1.3.3 記者(クレジット)区分
  1.3.4 タイトル区分
  1.3.5 クラスター区分

第2章 記事個別の分析
 2.1 はじめに・分析の概要
 2.2 回帰分析の変数
  2.2.1 分析の概要
  2.2.2 記者区分
  2.2.3 土井・村林区分
 2.3 各主成分の分析結果
  2.3.1 第1主成分
  2.3.2 第2主成分
  2.3.3 第3主成分
  2.3.4 第4主成分
  2.3.5 第5主成分

【ツイート転載】『AERA』2015年11月16日号特集「上流化する公務員」評

件の『AERA』2015年11月16日号購入。この木村幹氏のツイートで採り上げられている記事はpp.30-32。

 



なるほど確かにこの記事は「民間」を十把一絡げにして公務員が「優遇されている」と煽るような記事と言われても仕方が無いと思う。

だがこの記事の本丸は最初の「上流化」である。三浦展らカルチャースタディーズ研究所の調査で、消費も階層意識も公務員が「上流」化しているという。だがこのような調査(の引用)は、そもそも景気の影響を受けづらいとされる公務員の立場が、民間企業の労働者の総体的な貧困化によってもたらされているという認識はすっぽり抜け落ちている気がした。その点でも、やっぱり〈公務員〉への羨望を歪んだ形で煽る、公務員バッシングの一変種と言われても仕方が無いかもしれない。

ただ『AERA』は、公務員の「ブラック」な実態も採り上げており、その点が『AERA』のロスジェネ・メディア「らしさ」を醸し出している。その「らしさ」とは、政策提言や問題の解決より、「格差」の存在をアピールすることに重点を置くという方法。ロスジェネ系の論客やメディアはこの手法により伸張してきたが、それは(一部のはてブコメントに見られるように)対立のポリティクスを煽るものにしかなっていないと思う。その点ではこの『AERA』の公務員特集は「いかにもロスジェネ・メディアのやること」の一言に尽きる。

なおロスジェネ・メディアとしての『AERA』についてはこの同人誌の第11章も参照されたい。

 

 

【ツイート転載】「劣化言説の時代」から「キャラ化する言論の時代」へ?

『「劣化言説の時代」のメディアと論客』の元になった論文を書いて以降のことだけど、「劣化言説の時代」のあとの言論状況って、言うなれば「キャラ化する言論の時代」なのだと思う。科学的、学術的、客観的な正確性や、社会正義よりも、その論客の「立ち位置」が重視されるという。


それを改めて想起したのは、昨日の本田由紀氏が中川淳一郎氏を批判したこのツイート。

 



中川氏のツイートは私から見ても社会正義にもとる、というか「社会運動」そのものに対する偏見を吐露しているものとしか言えないと思うのだけど、中川氏は『ウェブはバカと暇人のもの』などで、自分の見てきた一般大衆の「現実」を直視せよ、という主張の下、こと社会に対しては劣化言説を展開し、一貫してそういう「キャラ」として発言してきた。

なお昨日のツイートでも紹介したけど、中川氏は昨年紅楼夢のサークルペーパーでテキストマイニングを用いて批判しているから読まれたい。

ch.nicovideo.jp



閑話休題、今の「論壇」の世界は科学や社会正義ではなく「キャラ」の論理で動いているものだと言っていい。「論壇」の中でひとたび「キャラ」を獲得してしまえば、メディアはその「キャラ」に沿った発言を要求するようになる。しかも著者のほうまで、メディアのその要請に迎合するようになる。さらに言うと読者のほうも著者を論理ではなく「キャラ」で認識するようになるから、それに対する反応は学術的な賛同・検証・批判よりも共感、そして「いじり」に近い物になる。今の「論壇」というのは、限りなく「ネタ」化されたコミュニケーションの場であると言うことができるはずだ。

この点を踏まえれば、左右両派で言説が暴走する様を的確に捉えることができると思う。右派の場合はもちろんヘイトスピーチ。右派系メディアにとってヘイトスピーチは「論壇」を成り立たせるコミュニケーションでしかないのだが、そのコミュニケーションを強化するために、在日外国人とか生活保護受給者に対する歪んだイメージを強化し続ける。左派の場合は、具体的な名前を挙げると、内田樹金子勝山口二郎などといった論客の発言が過激化している現象が挙げられるだろう。彼らは自らの「キャラ」を純化させ、その純化した発言を楽しむ人たち以外には届かない言説を発するようになる。

またさらに言うと、「論壇」が「キャラ」を媒介したコミュニケーションの場になると、様々な「キャラ」を使い分け、その発言の間に齟齬が生じても平気の平左、という「多元的論客」まで現れる。典型例は香山リカだろう。あう人格で若い世代をバッシングし、別人格で若い世代のお悩み相談に乗る、一貫性のない行動まで平然と現れるようになる。

2000年代、若い世代のコミュニケーションをめぐって、「タコツボ化」「島宇宙化」「動物化」「キャラ化」などといった議論が交わされてきたけど、これらの議論は今の「論壇」にこそ適応されるべきだ。

またマーケティング言説の伸張も、言論・論客の「キャラ」化に拍車をかけていると思う。マーケティングの基本は「こうすれば売れる」ということを示すことで、「売れる」言説を示してみせるために「キャラ」化してみせる、というあり方は、2000年代半ば頃から見られている。具体的に言うと三浦展で、彼は従来の若者研究のように若い世代に対する価値判断を留保するのではなく、それを悪と断定することで売れると判断し、バッシング的に書いていると複数のメディアやインタビューで述べている。そして三浦は数年間、若い世代をバッシングする「キャラ」で売り続けた。

「キャラ」に頼った言論のあり方は、長期的には不毛な世代論などをはじめとする対立しか生み出さないだろう。

―――――

行きにやったツイートの続きだけど、社会的公正や科学的な正当性よりも「キャラ」を重視する傾向って、近年広告代理店系の論客が伸張していることと無関係ではないと思う。社会的な言説が「売れる」ことを意識してしまうと、結果として大衆の耳目を集められるような扇動系の言説や、「新しさ」を僭称しながら結局は流行りの言説ないし社会的な偏見の再生産でしかないものしか生み出し得なくなる。少なくともそういった言説には、社会の問題をあぶり出して、解決に導くようなものは出ないのではないか。