後藤和智事務所OffLine サークルブログ

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【ツイート転載】「こどおじ」「チー牛」という単語の使用は男性差別・男性間抑圧と反フェミニズムへの荷担である(2022.11.10・14)

(11月10日記す)

長谷川晴生氏や墨東公安委員会氏が《こどおじ家父長制》なる表現を使っていることに、私は強い危機感を覚えます。

そもそも「こどおじ」の語源である「子供部屋おじさん」という表現は、インターネットスラングであり、ある種の自嘲として生まれた言葉だと認識しております。そして「中年になっても(特に男性が)親と同居していること」をはずべきだとする価値観は、普遍的なものではなく、それどころかこの表現はインターネットにおける"オタク"的コミュニケーションにおける男性間の抑圧と決して無関係ではない。そういった男性社会における男性間抑圧の存在が、女性への差別や暴力にも繋がるというのはしばし指摘されます(西井開『「非モテ」からはじめる男性学』(集英社新書)を参照されたい)。

また、表現規制反対派ムラ批判や、あるいは若い男性を問題視する文脈で「チー牛」なる言葉が使われることがしばしありますが、この言葉も男性間抑圧と極めて縁の深い言葉です。

左派、もしくは反・反フェミニズムの立場を取る人間が、「子供部屋おじさん」ですらない「こどおじ」や「チー牛」という、インターネットの"オタク"的コミュニケーションにおける男性間差別の省庁とでも言うべき言葉を平然と使ってしまうのは、結局のところ"オタク"的コミュニケーションにおいて反フェにズムが生まれる構造に積極的に荷担していることを意味します。

そういう言葉を使っている限り、彼らのリベラル風の物言いも、所詮は社会から遊離した"オタク"コミュニケーション内での戯れに過ぎないと判断せざるを得ません。

 

特にサブカルチャー、ないし"オタク"コミュニケーションの中にいる左派においてこういう態度の人間が目立つのは、ひとえに我が国のナショナリズムに関する議論が「若者論」に押し込められてきたことに起因するのは間違いないと思います。

1990年代の宮台真司あたりを水源に、香山リカ『ぷちナショナリズム症候群』や荷宮和子『声に出して読めないネット掲示板』などを源流として、我が国のナショナリズムに関する議論はサブカルチャー左派による「若者論」に押し込められ、多くの左派がそれに追従してしまった。
我が国のナショナリズムに関する議論は、社会問題としてそれらを考えるのではなく、逆に「若者」という「自分たちとは異なったコミュニケーション文脈を持つ存在」によってもたらされる問題として外部化することが重視されました。そして、それに影響を受けたさらに若いサブカルチャー左派は"オタク"コミュニケーション的な差異化行為として「右傾化する若者」ひいては「普通の日本人」を悪罵し、またそういうサブカルチャー左派による若者論を背景に、右派がセールストークとして「若者」に憑依、「若者」を僭称し、アンチレフトを煽ってきました。

私は多分に疑っていますが、「若者の右傾化」なるものがあるとするならば、それはナショナリズムをはじめ、サブカルチャー左派が問題にしたいものをことごとく「若者」に外部化したことによって起こったもので、いわば予言の自己成就です。そういう認識を持たないで若い世代を語るべきではないと私は考えます。

(11月14日記す)

そもそも「こどおじ」というのは「子供部屋おじさん」の略称であり、「チー牛」などと並んでネットコミュニティにおける男性間抑圧の産物みたいなものです。それを安直に略称にして原語の持つ差別性を漂白するのは控えるべきだと思います。

以前に私は小野寺系氏が「情弱」という言葉を使ったことを批判したことがありましたが(※)、「こどおじ」「チー牛」みたいな言葉は男性差別(男性間抑圧)という深刻な問題を孕んでおり、さらにここ数日で立て続けに左派系の人が安直にこれらの言葉を使っているのを見てしまっているので、改めてこの問題を問い直しておきたいと思います。国際男性デーも近いですし。