後藤和智事務所OffLine サークルブログ

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『検証・格差論』第14章 赤木智弘――先鋭化の果てに

本稿は2013年に同人誌即売会「おでかけライブ in 山形109」のサークルペーパーとして、2015年に同人誌『検証・格差論』に収録したものですが、近年の言論状況を鑑み、本稿を同書の無料サンプルとして公開いたします。忘れ去られようとしている「ロスジェネ」論の記録です。

なお、『検証・格差論』は下記のサイトで電子書籍として配信しております。

BOOTH

kazugoto.booth.pm

BOOK☆WALKER

bookwalker.jp

さて、今回のFree Talkですが、2月15日に私がニコニコチャンネルで配信した記事が、濱口桂一郎労働政策研究・研修機構主任研究員がブログに採り上げたり、ガジェット通信から依頼があって転載されるなど、何かと話題になりました。なので今回はこの記事にもう少し屋上屋を架してみたいと思います。それが、現代の若手論客が作り出している言論状況はもとより、在特会的な排外主義を批判し、乗り越えるヒントにもなると思うからです。

ブロマガ2013年2月15日配信記事
第11回:【思潮】ロスジェネ系解雇規制緩和論者が若者バッシングに走るとき
http://ch.nicovideo.jp/kazugoto/blomaga/ar116575

この記事では、『若者はなぜ3年で辞めるのか?』で若年層の立場から雇用を論じているように振る舞っていた城繁幸が、現在はより若い世代をバッシングするような言説に走っているということを述べました。城の場合、会社組織の中で、ろくに働かないのに高給を得ている(と思い込んでいる)上の世代に対して憤りを覚えている層を煽ることによって、若い世代の代弁者として振る舞いました。そして城は世代間格差論の論客となり、現在も30代が主たる読者層と推測される『SPA!』(扶桑社。最近は40代向けの特集もよく組まれており、想定読者層の高年齢化が窺える)でも連載を持っています。
しかし、先のブロマガどころか、『POSSE』の連載第1回(本書第1章)でも指摘していたのですが、城の言説には、雇用が流動化すれば直ちに自分たちのようなロスジェネ世代の優秀な人材が救われる、という、過度に自分たちに都合のいい市場「信仰」に近いような認識を持っているとしか言いようがないのです。実際には、雇用の流動化は進展しましたが、それが労働者にとってプラスになったかというとそういうことはあまりなく、解雇に関するルールが厳格化されていなかったり、あるいは非正規雇用の問題についても正しく論じられずにイメージ先行で論じられていたりと、議論はあまり進展していないのが現状です。

城はアッパー層の「代弁者」として振る舞うことにより雇用論壇での立ち位置を獲得してきましたが、それでは非正規雇用者などのダウナー層の「代弁者」として振る舞ってきた論客はどうなのでしょうか。ここでは、件のブロマガの記事でも採り上げた赤木智弘氏を採り上げたいと思います。

さて、なぜ私がここで赤木氏を採り上げるのか。発端は2つのインターネット上の記事と、そして彼のツイッターの書き込みです。

日本大学の准教授であり、労働経済学や「法と経済学」の専門家である安藤至大が、昨年日経新聞に持っていた、コラム「やさしい経済学」での短期集中連載「若年雇用の構造問題」をインターネット上に転載しました(蛇足ですけど、安藤様、弊サークルの『紅魔館の統計学ティータイム』の宣伝(笑)にご協力くださいまして、誠にありがとうございました)。

若年雇用の構造問題
第1~4回 http://bylines.news.yahoo.co.jp/andomunetomo/20130126-00023229/
第5~8回 http://bylines.news.yahoo.co.jp/andomunetomo/20130126-00023230/

安藤の議論は、最初こそ海老原嗣生的な「雇用のミスマッチ」論を述べており、私も同紙の電子版で見ていてちょっと嫌な予感がしたのですが、それ以降の議論は、主に雇用者の立場からではありますが、バランスのとれた議論を展開しており、特に第6回の「問題大きい政策提言」は必読だと思います。解雇規制を緩和したからと言って、直ちに能力の高い若年層が雇用されるわけではなく、またロスジェネ系の論客から叩かれがちである新卒一括採用についても、実際にはそれなりの有用性があったのだということを述べています。

学生の大企業志向はどうか。求人の多い中小企業へと目を向けさせることで就職が容易になるとの主張があるが、大企業の方が平均的には賃金も高く待遇が良いという現実がある。求職者がより良い条件を目指すのは当然のことである。
選ばなければ仕事はあるという意見もあるが、個々の労働者の視点、社会全体から見ても仕事があれば良いわけではなく、能力と待遇が向上してゆくことが必要だ。中小でも優れた企業は多いが、劣悪な労働条件の企業も存在する。 (第6回)

安藤の連載は、最初の本当にごく一部は通俗的な若年層(というよりは大学生)批判の言説を参照していたものの、最終的にはそれを否定し、乗り越えるようなものとなっています。
ところが赤木氏はこれを批判しました。次が安藤と赤木氏の主なやりとりです。

赤木:いいかげん、この手の「大卒求人は足りているから仕事は足りている」という、頭の悪い考え方をやめろドアホ
https://twitter.com/T_akagi/status/303865187511988225
赤木:もう、完全に「大卒にあらねば人にあらず」の考え方じゃん。それは大卒者が「大企業にあらねば企業にあらず」と考えるのと、何が違うんだよ。アホか!
https://twitter.com/T_akagi/status/303865577833918464
赤木:増やさなければいけないのは「大卒時に就職できなかったフリーターなどの求人」だよ。企業の選り好みをちゃんと批判しろ。ドアホ。
https://twitter.com/T_akagi/status/303865805165174784
赤木:「増える非正規」って、非正規が正規に回収されなければ増えるに決まっているだろう。それを大卒の問題にすげ替えるとか、この安藤ってやつは単純な算数もできないバカなのか? バカがなんで准教授やってるんだ?
https://twitter.com/T_akagi/status/303867959149993985
安藤:後半も読んで頂きましたか?
https://twitter.com/munetomoando/status/303874926551658497
安藤:第一回は、確かに大卒に絞った議論をしていますが、それはその旨を宣言していますね。RT @T_akagi: 後半も読みましたが、仕事が足りているという前提である時点で無意味です。 @munetomoando
https://twitter.com/munetomoando/status/303875943464837122
安藤:この点は第2回で直接的に述べていますね。RT @T_akagi: そもそも「労働問題」は「仕事が無い問題」ではなく「仕事がないことによって賃金が得られず生活が成り立たない問題」だ。これを前者で考える奴は何を口にしてもダメ。
https://twitter.com/munetomoando/status/303877284727762945

実際に安藤の文章を最後まで読めば、そもそも安藤は最初から「雇用が足りている」ということを、それこそ海老原嗣生のように金科玉条の如く掲げているわけではなく、若年層が一見すると「選り好み」しているように見えるのは、やはり現実として現在は労働環境などの点から見ても大企業の方がいいということがあることと、そして適切な規制のあり方について提言しているのは明らかだと思います。また安藤は、最初から大卒者の求人や採用について述べているのは明らかでしょう。

しかし赤木氏は、自分が期待するような議論が展開されていないという一点張りで、安藤の言説を全て否定しているように述べています。ここでは引用していませんが赤木氏は「社会保障」について論じよ、と安藤を批判していますが、赤木氏は本当に「社会保障」について考えているのでしょうか。このあとのやりとりを見ると、どうも批判的に感じざるを得ないのです。

それが、「Q.解雇規制緩和・雇用流動化でみんなハッピー? A.正規労働者が非正規労働者の水準に落ち込むだけです」というTogetterのまとめに書かれた赤木氏のコメントです。

Q.解雇規制緩和・雇用流動化でみんなハッピー? A.正規労働者が非正規労働者の水準に落ち込むだけです
http://togetter.com/li/460354

まず、このまとめはタイトルの付け方が悪いと思います。《正規労働者が非正規労働者の水準に落ち込むだけです》というのがそれで、正規雇用者は非正規雇用者に比べて「守られて」いると言うことを前提にしたような物言いだと思います。しかし濱口桂一郎の『日本の雇用終了』(労働政策研究・研修機構)を読むと、正規雇用者についても様々な方法で解雇などがされていることが分かると思います。
そして赤木氏はコメント欄でこのように述べています。

タイトルを見るに、結局労組の目的は「我々は非正規労働者と同じ身分に落ちたくない」ってことね。非正規労働者から見ると、正規様が同じ立場に落ちてくるなら大歓迎なのですが。welcome to our world!!
労働市場に競争が起こらないのは「1,社会保障がろくに無いので、待遇の悪い仕事もしないと生きていけない」「2,正規の立場が安定しているので、流動性がない」からなので、この両方を改革しなければなりません。
どーせ、今の枠組みでは非正規労働者なんて幸せになれないんだから、どう考えても正規労働者の足を引っ張るほうが、幸せになれる確率はどんと増える。
今は正規と結婚するのが当たり前だと思っている女性が、国民の大半が非正規なら、非正規と結婚してくれるようになるしね。あと、非正規が当たり前なら正規しか受けられない各種控除が、非正規にも降りてくる。
少なくとも、クレジットカードの特典類を非正規も使えるようになるだろう。正規だけじゃカード会社も商売上がったりという状況になれば。
貧乏人は労働をもっていつも金持ち労組の人たちを支えているのに、労組の皆さんは自分たちんのことばかりで、いつまでたっても貧乏人を助けてくれませんね。「ひろげよう!支えあいの輪」

そして赤木氏の言説に疑問を持たざるを得ないもう一つのものが、おそらく田中秀臣ツイッターの書き込みに反応する次のような反応(エアリプライ)です。

というか、もう正規と非正規の問題って、少なくとも僕らの年代に関しては「GAME OVER」なわけだ。とっくに制限時間を過ぎている。非正規が果たして今からどうやって「人並み」の生活を取り戻していくのか。そのために必要なお金はどれだけかということを、少しは考えないとダメだろう。
https://twitter.com/T_akagi/status/306623781378605057
国の税収が増えたら、最低でも国保を税方式にしてくれるのかとか、そういうレイヤーで物事を考えないと、そりゃ怨念が無くなるはずもないよ。
https://twitter.com/T_akagi/status/306624233801383937
俺だって、正社員で金と家族もらって、ぬくぬく生活してたら、もっと長期的な視野で物事を考えられるよ。でもそんなこと無理でしょ。自分が苦しんでいるのに、目の前の事以外をどうやって考えろというのか。
https://twitter.com/T_akagi/status/306624981989720065

赤木氏はこれの近くで、「景気がよくなれば非正規の雇用も増えたり賃金もあがったりするんじゃないの?」という疑問に対し、「絶対に起きない、それが非正規」という趣旨のことを述べています。ここまで来ると、おそらくその世界観そのものを疑問視した方がいいのかもしれません。

そもそも赤木氏の言うところの「非正規」とは一体どのような存在なのでしょうか。赤木氏の図式化では、自分は「非正規」故に苦しい生活を強いられており、「正規」は《正社員で金と家族もらって、ぬくぬく生活して》いる存在であるという図式が確固としてあるという風に見えます。しかし赤木氏は、彼が敵視する「正規」、そして彼が「代弁」する「非正規」に関して、何らかのデータ、あるいは文献事例、ないし相談事例、インタビューなどを参照せず、全てが自分の考えた図式化に当てはまるものとして扱っているようにしか見えないのです。

赤木氏は、他方で「非正規でも生きられるような社会保障」と言いながら、もう一方で「自分たちの世代の非正規はもう終わり」と言っている。この2つは、少なくとも表面上は矛盾していると思います(ただ、社会保障を実現することによって「もう終わり」という状況を回避する、ということを述べることはでき、その点では矛盾しないのですが、それでも赤木氏の多くの言説においては後者を強調しすぎるきらいがあるので、前者について本当に考えているのか疑わざるを得ない。例えば《非正規労働者から見ると、正規様が同じ立場に落ちてくるなら大歓迎なのですが。welcome to our world!!》という表現に端的に現れている)。そして自分の世代の「非正規」の被害者性を打ち出すことによって、自分の言説が絶対的な正当性を持つと考えているのではないでしょうか。

赤木氏のこのような言説は、いくつもの問題点を抱えていると思います。第一に、これは城繁幸にも通ずるのですが、それはより下の世代の無視です。長く続いた不景気、円高、デフレにより、より若い世代においては、正社員においても雇用の不安定化が進んでいます。この点については、今野晴貴の『ブラック企業』(文春新書)を読んでほしいのですが、特に若年層において雇用形態に関わらず不安定化が進行する中で、「正規」と「非正規」の対立を煽る赤木氏の言説は空疎に響くだけです。

もちろん労組の側に問題がないとは言いませんし、赤木氏がコメントしているTogetterのまとめのタイトルも(というかタイトルだけが)悪いと思います。しかし赤木氏の問題点は圧倒的にこれを超えている。現代は既存の企業別労組のみならず、地域のユニオンなど様々な選択肢があります。もちろんそこへのアプローチを増やすことも重要ではありますが、赤木氏の議論は現状から見てもかなり遅れた立場にあると見なさざるを得ません。

第二の問題点は、特定の立場の人を絶対的な弱者と見なし、それによって自らの言説の正当性を強化するということの危うさです。赤木氏はことあるごとに「非正規」と言いますが、果たしてそれはどのような「非正規」を指して言っているのか。そしてそれと対置されている「正規」とは一体なんなのでしょうか。

「正規」の特権によって「非正規」が脅かされているという言説、あるいは片方を一方的な加害者、もう片方を一方的な被害者として、後者の代弁をすることが正当性の担保となっているような言説の危うさは、在特会的なるものとつながっています。そもそも在特会的なるものは、「在日(韓国・朝鮮人)」によって「日本人」が脅かされているという言説で、そのような図式にはまることによりある種の「階級闘争」を仕掛けているという認識にはまっています(安田浩一『ネットと愛国』講談社)。しかしそのような態度がある種の認知の歪みを生み出していることもまた事実なのではないでしょうか。立場、立ち位置によってのみ自らの正当性を主張する議論は、まさに赤木氏が『若者を見殺しにする国』(朝日文庫)で強大な敵と名指しした、若者論そのものではないでしょうか。

第三の問題点は、第二の問題点で採り上げた、自らを絶対的な「弱者」の代弁者という立場を僭称することにより正当性を担保するというスタイルが、一切の対話、学習を放棄させているのではないかということです。これは先に採り上げた安藤至大に対する赤木氏の反応によく現れていると思います。安藤の書いていることは、規制の必要性など、実際には非正規雇用の問題にも応用が利く視点や知見もあると思いますが、赤木氏はそれを一切無視している。

確かに、確かに非正規で賃金も安くて勉強する暇がない、と主張するかもしれません。しかし、赤木氏は、メディアでの発言権を与えられた一人の「論客」ではないのでしょうか?現に、赤木氏は、今年の頭のほうで、もっと物書きとしての収入を増やしたい、増やさなければならないということをツイッターで書いていたと思います。しかし、私が見る限り、赤木氏は「「丸山眞男」をひっぱたきたい」論考以降の視座から発展していない、それどころか劣化しているように見えます。さらに自らを「弱者」の側に置くことにより、学びを放棄している。それは「論客」として正しい態度と言えるのでしょうか?

第四の問題点は、これも第二の問題点の派生なのですが、自らの「弱者」性を絶対視することにより、他の問題を論ずることを圧殺しようとしている点です。これもまた、安藤至大への赤木氏の反応からそういう態度を読み取らざるを得ません。大学生の就職問題を論じているにも関わらず、大卒で正社員になれなかった「非正規」のほうが苦しいんだ、という議論は、それこそ赤木氏が(?)苦しめられてきたとされている「悲劇の累進性」ではないのでしょうか。赤木氏は大野更紗の主宰する「うちゅうじんの集い」にパネリストとして出席していますが、大野や他の出演者は、このような赤木氏の態度に疑問を持たないのでしょうか。

第五の問題点は、これも城繁幸と共通するのですが、解雇規制の緩和などが、直ちに自分に都合のいいような自体を引き起こすという幻想、信仰に浸っているという点です。これについては私の2回の城繁幸批判で詳述したので割愛します。

第六の問題点は、第二~五の問題点により、赤木氏が自らの「苦境」ないし「生きづらさ」を担保に論壇での立ち位置を得たことから抜け出せないでいること、そしてそのような態度を続けることによって自らの価値が得られるという錯覚が見られることです。

第七の問題点は、「非正規」と「正規」の間の橋渡しをいかにして行うかという実務的、あるいは制度的な視座や、あるいは多様な労働者側のニーズにどう対応するのかということが欠けていることです。例えば山梨県で派遣会社を経営する一方で、派遣労働に関してブログや勉強会などで発言ないし意見の集約を行っている出井智将は、著書『派遣鳴動』(日経BP社)の中で、不正が横行する人材派遣業界のレベルの低さを嘆きつつも、他方で派遣で働きたいという人のニーズや、あるいは高校、大学などの卒業後の就労が難しかった人たちなどの雇用の受け皿としての人材派遣の重要性を書いています(今野と出井の本は後日ブロマガで書評する予定です)。そして、ニーズの多様化などに対応するために必要なのは、流動化よりも先に適切な規制、ルールの策定でしょう。

しかし昨年10月より施行された労働者派遣法のおいては、徒に「派遣」を悪とする議論から、「生業収入ないし世帯収入年収500万円以上」「雇用保険の適用を受けない学生」「60歳以上の高齢者」ではない人は短期の派遣の仕事をすることができない(http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/haken-shoukai/kaisei/02.html )という疑問の多い「規制」がなされています。それによって失業した人などが一時的な収入を得ることが難しくなっているのもまた事実なのですが、赤木氏の議論は、このような構造をますます強化させかねないものではないでしょうか。

赤木氏は「非正規」の人たちが、非正規のままでも生きていけるような収入や社会保障を望んでいるのか?それとも「非正規」がみんな「正規」になればいいのか?そして「正規」はいったん落ちたらそのまま赤木氏に「Welcome to our world!!」と憎悪を持った目で向けられなければならないのか?赤木氏の言説は、果たして何を目指しているのか。そこを問い直すべきではないでしょうか。

そして第八の問題点は、赤木氏もまた、根拠に基づかない劣化言説の担保者になっていることです。赤木氏はオタク関係のTogetterのまとめに登場したりするときに、現代においてはまとめサイトが絶対的な地位を持っており、それに対する反逆は許されないということを述べていたりします。これは、同人作家としての私から見れば、極めて度し難い発言です。コミケコミティア、あるいは種々の同人誌即売会においては、「テンプレート通り」な作品意外にも、様々な視点や、二次創作なら原作の解釈に基づいた作品がたくさん見受けられます。特に東方は、まがりなりにも二次創作では最大規模のジャンルであり、メロンブックスとらのあななどに委託されるような同人誌だけを見てもかなり見方が異なることが分かると思います。そうでもない限り、弊サークルの『幻想論壇案内』など、東方の同人誌やそのほかの二次創作のレビューという同人誌が少なくない数発行される理由は乏しいでしょう。

赤木氏は、現在の正社員層がみんな「非正規」になれば、相対的に「非正規」の立場がよくなり、自分は「生きやすさ」を獲得できるのだと言うことを、「丸山」論考以降現在に至るまで述べてきました。しかし、それは一体誰のためなのでしょうか。少なくとも途中で採り上げたTogetterのコメント欄での書き込みを見る限りでは、おそらく赤木氏自身のためと見たほうがいいのかもしれません。ただ自分のためだけに、暴力的な言説を展開することは、まあ数万歩譲って許されるものかもしれません。

しかし赤木氏が、仮にも論客として生計を立てたいと考えるならば、現在の赤木氏のあり方はものすごく大きな問題を含んでいるとしか言えません。そもそも赤木氏の発言は、雇用の問題と、自分の生活の問題が、意味の不明瞭な形でごちゃ混ぜになっており、市民としての責任や公共性に著しく欠けるものでしかありません。雇用論壇における自らの立ち位置を温存することを焦って、態度を先鋭化させることは、かえって非正規雇用者への偏見を促進させ、同時により若い世代を苦しめる結果になりはしまいか。

赤木氏は、ロスジェネ論客やその周辺(非モテ系など)の問題点のかなりの多くの部分を抱えた、ある種の「象徴」と言えるのかもしれません。現在の赤木氏に、果たして、その問題点に気付き、いち早くそこから脱却し、同世代の論客に何らかのロールモデルを示すことができるのでしょうか?