後藤和智事務所OffLine サークルブログ

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『検証・格差論』第2章 城繁幸――「昭和的価値観からの脱却」の暴走

本稿は2009年に『POSSE』第7号に寄稿し、2015年に同人誌『検証・格差論』に収録したものですが、近年の言論状況を鑑み、本稿を同書の無料サンプルとして公開いたします。忘れ去られようとしている「ロスジェネ」論の記録です。

なお、『検証・格差論』は下記のサイトで電子書籍として配信しております。

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主に2000年代中盤~後期における若年層を巡る「格差」や貧困にまつわる言説を検証していくシリーズ。その第1回として、『若者はなぜ3年で辞めるのか?』(光文社新書、2006年)などの著書がある人材コンサルタント城繁幸の言説を検証していきたい。

私が城の現在の議論に対して興味を持つようになったのは、平成22年1月6日に、ニュースサイト「J-CAST」の連載「J-CAST会社ウォッチ」に掲載された文章「派遣法改正?そんなことより「憲法改正」だ!」である。城は現政権が派遣労働の規制強化に踏み切ることを受け、それがもたらす未来について下記の如く書いている。

でもまあ実際に解雇されても困るので、企業に対し「正社員雇用を義務付ける法律」も作る必要があるでしょう。当然、「人件費が払えません」という企業も出てくるので、亀井さんにもう一頑張りしてもらって「正社員雇用モラトリアム法案」でも作ってもらい、人件費の差額は国家が補填する必要もありますね。

あ、もちろん「新卒採用を義務付ける法律」も作らないといけませんよ。ほっとくと90年代みたいに、雇用余剰はすべて新卒採用抑制で解消されちゃって、“鳩山氷河期”が発生してしまいますから。そんなことは友愛的に許されませんもんね。「○○商事は何人、××電機は何人」という具合に、国家が学生を割り振るしかありません。(城繁幸[2010])

派遣労働の規制強化に対して、失業を増やすのではないか、あるいは需要の創出につながらないのではないかという真っ当な批判であればまだよいし、そのような批判も数多くある。だが城によるこのような批判は、派遣規制強化に対する多くの批判の中でも明らかに異質だ。この記事においては、上記の引用部分に限らず、城は明らかに派遣労働規制が(労働生産性の低下や失業の増加という段階ではなく)計画経済をもたらすかの如く書いている。

もちろんJ-CASTにおける城の連載は、みんながみんなこんな論調で行われている、というわけでもない。だが近年の城の議論においては、しきりに「連合」や「社民党」などを格差拡大の元凶として糾弾するようなものが多い。例えば『Voice』(PHP研究所)2008年10月号の「貧困ビジネスで稼ぐ連中!」なる論考においては、城は堤未果などを自分たちの政治的主張を通すために「格差」論をダシにして金を稼いでいると批判して《悲しいことに既存メディアは、同様に格差をネタにした貧困ビジネスで稼ぐ同類に溢れている》と述べている。だが、そもそも「貧困ビジネス」という言葉それ自体を誤用しているし、仮にここで批判されている堤や加藤紘一などの言説が(城の言うところの)「貧困ビジネス」であるならば、城の言説だってそうでない保障はどこにもないはずだ。

または、格差解消、もしくは労働問題を解決するための手段として、「現在の正社員保護主義の維持」と「労働ビッグバンによる労働市場の抜本的改革」の2つを提示し、前者を支持するものは《すべからく保守主義者である》(城繁幸[2009]p.91)といった具合に格差を生み出す構造の(暗黙的)支持者として糾弾されてしまう。急進的改革以外は認めない、という立場なのだろうか。

ただし、私の本稿における関心事項は、むしろ城がこのような言説に傾倒してしまった経緯のほうにある。本稿ではそれを見ていきたい。

元々城は、初の著書である『内側から見た富士通――「成果主義」の崩壊』(光文社ペーパーバックス、2004年)や、その続編とも言える『日本型「成果主義」の可能性』(東洋経済新報社、2005年)などに見られるように、我が国の企業の人事制度において、よりよい「成果主義」のためには何をすべきか、という議論が主であった。なお、この時期の議論においても、賃金の下方硬直性による中高年正社員の賃金調整の難しさや、それによる世代間格差といった、現在に至るまでの城の経済面での認識はほとんど変わっていない(城[2004]第4章など)。

ただし、当時の城は、人事評価の抜本的な改革の必要性を訴えつつも、それが可能になる社会の条件や、改革によるリスクへの配慮も持っていた。例えば『日本型「成果主義」の可能性』の第5章で城は、《目標管理制度に代表される成果主義型の人事制度は(略)決して「万能な妙薬」ではないということだ。どんな薬でもそうだが、使い方を誤るととんでもない「副作用」に苦しむことになる》(城繁幸[2005]p.185)と述べている。

城の言説に変化が生じるのは、平成18年ごろであるように見える。勘のいい方なら気付かれたかもしれないが、この年の9月に、城は『若者はなぜ3年で辞めるのか?』(光文社新書、2006年)なる著書を出し、現代の若年層の側に立った労働論としてベストセラーとなった。

同書によって、城の言説に新たに「昭和的価値観からの脱却」という基軸が生み出された。とはいえ同書における「昭和的価値観」とは、年功序列型の人事制度、及びそれに合わせて設計された社会システムとほぼ同義であった。

また、この基軸の創出が、直接的に、近年の城の言説の先鋭化に繋がったとも言い切れない。城が「平成的価値観」の特徴として採り上げていたのはあくまでも「多様性」であり、どちらかといえば多様性=「平成的価値観」が台頭しつつあるという現実を理解すべきだという論調のものが中心であった。

(略)平成的価値観とは、なにも「ビジネスで成功すること」だけではない(それは形を変えた昭和的価値観だ)。あえて言うなら、年功序列というレールに縛られない生き方であり、"多様性"がキーワードとなる。(城繁幸[2007]p.160)

その集大成といえるのが、2008年の『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか――アウトサイダーの時代』(ちくま新書、2008年)である。城は同書で22の「昭和的価値観」を採り上げ、それに対して変革をもたらすであろう、もしくはそれに立ち向かっている若年層を紹介している。これだけならまだいい。

実は同書にこそ、近年の城の言説を読み解く鍵が転がっている。それは昭和的価値観22「左翼は労働者の味方であること」だ。同章は『若者を見殺しにする国』(双風舎、2007年)の赤木智弘による論考「「丸山真男」をひっぱたきたい」(「論座」2007年1月号)を採り上げたもので、赤木に対して「論座」同年4月号で「反論」した左派の欺瞞を衝くものである。

このとき城は、格差を生み出す構造を生み出す存在としての中高年左派という集団を「認識」した。そしてほぼ同時期から、城の「主戦場」は企業の人事制度から、非正規雇用問題へとシフトしていっていた。それと同時に、城の批判対象もまた、「革新政党」にシフトしていったのである。城が「革新政党」に対するバッシングの材料として用いるのは、日本社会党が《非正規雇用が拡大した時期(九三~九六年)に連立政権の中軸にあ》ったこと(城繁幸[2008b]p.214)であった。もちろんこれが、だから現在の社民党が格差の拡大を小泉純一郎政権のせいにするのはお門違いなのではないかという批判であれば正しい(事実、城繁幸[2008a]ではそのような文脈で使われていた)。だがこの論理は、概ね城が「革新政党」もしくはその周辺の論者(代表例が森永卓郎だろう)を叩くだけの口実にしかなっていないのが現実だ。

この時期以降の城の言説は、ほとんどが雇用を流動化すれば若年労働者、さらにはすべての労働者にとっての理想的な環境が実現するといったものばかりである。

例えば、城は『たった1%の賃下げが99%を幸せにする』(東洋経済新報社、2009年)で、《現在、もっとも高賃金の45~55歳正社員が、年間受け取る給与総額は約45兆円にのぼる。そのうちのたった1%、4500億円を非正規雇用側に分配することで、10万人の雇用を維持することも可能となるのだ》(城繁幸[2009b]p.5)と述べている。またpp.190-192においても、賃金切り下げを認める法案が可決され、賃下げ分はその半分を国が補填するという施策をとることにより、雇用保険や再就職支援が拡充されたり、しかも派遣労働者の収入も伸び、ホワイトカラーの生産性も向上するというシミュレーションを示している。だが、果たしてその賃下げを行った分の再配分を誰がやるのだろうか?後者においても、国がやるのは賃下げ分を補填する(どうやって?直接賃下げに遭った人に渡すのか、それとも企業に渡すのか?)くらいであり、再配分の主体は国なのか企業なのかはたまた自由市場なのかは一切わからずじまいだ。しかも、そこまで都合良く賃下げによる好影響が若年層、非正規雇用者にもたらされるのだろうか?

城がこのように、自らの主張が実現する条件や時間などを考えずに、さも自らの改革案が社会にとって利益となるのは明らかであるといった言説を生みだし続けるのには、彼なりの理由があるのかもしれない。例えば「週刊東洋経済」平成21年11月7日号の湯浅誠との対談で、このように述べている。

湯浅 城さんの話は「ウルトラC」があるような感じがするんですよ。ここさえやればうまくいくんだ、という。でも私はウルトラCはないと思う。いくつものステップを踏まないと、いきなり欧州型の職務給になどならないし、横断的労働市場も形成されない。
城 私はそれでもウルトラCに賭けてみたい。焦っているのには理由があってそれは財政です。すでに維持不可能なレベルで、私はあと10年ももたないと思っています。その意味でも一発逆転を図りたい。(城繁幸湯浅誠[2009]p.67)

財政破綻論についての正しさは脇においておくとしても、《ウルトラC》なるものを期待するあまり、非現実的、あるいは具体的な主体や手順が見えない議論に終始していては、ますます問題の解決は遠ざかるばかりだろう。城の言説は、世代間闘争論、もしくは価値観闘争論の色彩を強くしすぎているあまり、現実からどんどん遠ざかっていると言わざるを得ないのだ(それゆえ、景気や社会保障の問題がほとんど語られないのもまた必然である)。

引用文献
城繁幸[2004]『内側から見た富士通――「成果主義」の崩壊』光文社ペーパーバックス、2004年7月
城繁幸[2005]『日本型「成果主義」の可能性』東洋経済新報社、2005年4月
城繁幸[2007]「新庄 中田はなぜ引退したか」、『Voice』2007年1月号、pp.156-161、2007年1月
城繁幸[2008]『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか――アウトサイダーの時代』ちくま新書、2008年3月
城繁幸[2008b]「若者よ、既得権益を打ち破れ!」、『第三文明』2008年8月号、pp.38-40、第三文明社、2008年8月
城繁幸[2009a]「ロスジェネと中高年が甦る日」、『Voice』2009年1月号、pp.88-91、PHP研究所、2009年1月
城繁幸[2009b]『たった1%の賃下げが99%を幸せにする』東洋経済新報社、2009年3月
城繁幸湯浅誠[2009]「正社員は既得権益か?」、『週刊東洋経済』2009年11月7日号、pp.64-67、東洋経済新報社、2009年
城繁幸[2010]「派遣法改正?そんなことより「憲法改正」だ!」http://www.j-cast.com/kaisha/2010/01/06057297.html 、2010年